【深夜3時、包丁とチャカと感謝状】──タクシー人生、最大の珍事件
タクシー運転手として長年この仕事をしていると、色々なお客様に出会う。酔っ払って「オレ、昔ヤンチャしててさ」と語るおじさん、別れ話の直後らしきカップル、眠そうな出張帰りのビジネスマン。
だが、間違いなくこの夜の出来事は、私の運転手人生の中でも“トップ・オブ・ザ・修羅場”だった。
仙台で個人タクシーを開業する前の、もうかなり前に起きたことですが———
あれは火曜の深夜──いや、正確には水曜の午前3時
仙台・国分町。眠らない街の名にふさわしく、深夜を過ぎてもネオンはまぶしく、車も人も多い。私は、東北公済病院の裏手にある細い通りで、晩翠通りの交差点へ向けて進んでいた。
信号待ちで停車していたその時──コンコンと後ろの窓ガラスがノックされた。
「おっ、お客さんか」
と反射的にドアを開けると、すっと一人の男が乗り込んできた。年齢は30代後半。スーツでも作業着でもなく、どこか不思議な佇まい。
「行き先はどちらまで?」と声をかけても、男は無言。前方をじーっと睨んでいて、こちらに目もくれない。
あれ?無視?イヤホン?それとも現実逃避中?と内心ツッコミを入れつつ、もう一度聞く。
「お客様?どちらへ向かわれます?」
無反応……というか、目線は完全に“誰か”を追っている。
なんか嫌な感じだなぁ……と思っていた矢先、信号が青になり車が動き出すと、男が急に口を開いた。
「左折してくれ」
えっ?行き先も言わずに命令?と思ったが、反射的にハンドルを切る。プロなので。
「あのタクシーを追え!」
左折して広瀬通りへ出た瞬間、男が前を指差し叫んだ。
「あの4台前のタクシーだ!追ってくれ!」
「は、はい……って、え?えぇ!?追うって?」
状況が飲み込めぬまま前の車を目で追うと、男がさらに言った。
「あいつ、店の金を持って逃げやがった!」
「……え、まさか泥棒ですか?」
「そうだ!」
一気に緊張が走った。
「警察に連絡は?」
「呼べねぇんだ……」
低く、沈んだ声。呼べない理由は何か?と疑念がよぎったその瞬間、視界の端に“何か”が映った。
男の手元に……白いタオル。巻いてある中身は──明らかに“刃物”。
「あっぶなぁあああ!!刺す気かぁ!?」
声を上げる私に、男は慌てて釈明。
「ごめんごめん!気が動転してて、これ店から掴んできただけなんだ!刺す気はない!運転手さん、これ預かってくれ!」
いやいやいやいや、そういう物は普通、タクシーに“預ける”ものではない。でも、仕方なくダッシュボードにそっとしまった。気が動転していたのは、私も同じだった。
「チャカで脅された」──チャカって何?
「アイツら、チャカで脅してきやがって……!」
男が憤る。チャカ? チャカって何?お菓子の名前か?チャカポコ太鼓か?
「チャカって……?」
「拳銃だよ」
「拳銃!? ピストルぅ!?」
理解するまでに数秒かかった。ピストルなんて、ゲームか西部劇の中でしか見たことない。
包丁持った男を乗せて拳銃男を追いかける──なんなのこの展開。
私は叫んだ。
「いやいやいや!警察ですよ、警察!!命がいくつあっても足りませんよ!」
「…… …… …… ……」
困ったような、何か考えてるようなしぐさをしながら、それでも前を凝視している包丁男。
「警察通報しないんだったら、降りろよ!」と強い口調で、と言うより、半分喧嘩口調になって言った。
男はしぶしぶ無言でうなずいた。「無線入れますね」と言って私は、すぐにタクシー無線で本社に連絡。会社を通して警察へ。
まさか「タクシー運転手が包丁男を乗せて拳銃強盗を尾行中」なんて、警察無線に流れるとは思っていなかった。
尾行開始!一方通行、曲がった先で──
警察の指示で、安全を確保できる可能な範囲で尾行を続ける。ターゲットのタクシーは左折して一方通行の路地に入っていった。
少し距離を取って同じルートを走ると、中から男女が2人降りてくるのが見えた。
「あいつらだ!」
「まずい、こっちを見てる!」
急いでバックして晩翠通りに戻る。犯人たちは青葉通り方面へ歩いていく。
「ここは映画か?オレは何役なんだ?」
心の中で自問しつつ、警察に位置を報告。無線は無線係を通じほぼ常時接続状態。妙な安心感すらあった。
歩いてくる犯人たち!「お客さん、隠れて!」
青葉通りの信号で停まっていたその時──なんと、あの二人が通りを抜けてこちらに向かって歩いてくる!
「お客さん、隠れて!」
男はとっさにシートに横たわり、寝たふりをする。意外と演技がうまい。私の心臓は今にも口から飛び出そうだった。
「なんだ、空車じゃねぇな」と、強盗犯。
そのまま広い青葉通りを東急ホテル方向へ渡っていった。
もう、ドキドキが止まらない。これで心臓が鍛えられたら、ジム行かなくて済むかもな……なんて冗談を考える余裕が少しだけ戻ってきた。
警察突入!スゴ腕の女性刑事、現る
私の前に次々に到着した車。ライトバンやワゴン、まるでコンビニのトイレに駆け込んできたかのような勢いで止まった。中から現れたのは──がっちりした作業服姿の男性や、工場の事務員風の女性たち。
まさかの私服刑事たち。まるで“変装軍団”。
一人の工事現場でよく見る作業着姿のごつい人が。「通報者?」と聞かれて、ようやく警察だと気づいた。
近づかないよう指示を受けて見守る中、彼らは東急ホテルへ一斉突入!
中では追いかけっこが始まり、女性刑事が信じられないスピードで男の犯人に猛タックル。あんな見事な一本は、柔道の全国大会でも見られないだろう。
もう一人の犯人は──なんと少女。しかも10代に見える。こんなところで青春してどうするんだ。
中央署での取調べ。そして気づいた「警察に通報できなかった理由」
事件は一段落し、私も事情聴取のため中央署へ。机の上には何もなく、まるで時が止まった空間。
2時間以上の聞き取り。事件の経緯をすべてパソコンに打ち込む刑事。その背中がやたら広く感じた。
聞き取りの途中、あの少女が通り過ぎていった。うつむいて、頬が少し紅潮していた。どこか反省しているようにも、ただひどく疲れているようにも見えた。
聞き取りが終わった、もう一人の“包丁男”も現れた。その時、刑事がポツリと言った。
「あいつの店、違法なゲーム機置いてたんだよ」
ああ、だから警察に通報できなかったのか。自分もグレーな立場だったのだ。妙に納得した自分がいた。
「あっ!」──そういえば料金もらってない……
中央署を出て車に戻り、少し落ち着いたところで気づいた。
「いけねー!、タクシー代もらってない!!」
時すでに遅し。とはいえ、中央署でメーター切っておいたのが唯一の慰め。
帰庫すると、管理者の関口さんが満面の笑みで出迎えてくれた。
「お疲れさん!感謝状もんだよ、これは!」
人生初の感謝状。そして河北新報掲載

数日後、現場検証が行われ、そのあと2週間経ってから感謝状の授与式が行われた。場所は中央署の大会議室。警察官がズラッと並び、敬礼される私。警察といえば交通違反で捕まった時ばっかりだったのに……なんという人生の逆転劇。
あの時払った反則金、どうにかならないですか!
後日、河北新報にも記事が掲載され、同僚から「ヒーローかよ!」とからかわれる始末。
新聞で知ったがあの二人、郡山でも同じ事件を起こしたことを知った。
ちなみにあの少女、家出中の良家の娘だったとのこと。拳銃はなんとレプリカ。でも精巧すぎて誰が見ても本物にしか見えなかったらしい。
そして今──
あれから、あんな劇的な事件に巻き込まれることはない。だけど夜、信号待ちでふとした瞬間、あの男の沈黙や、少女のうつむいた顔を思い出す。
タクシーには人生が乗ってくる。
時に、笑えるほど不器用で、怖いくらい現実的で、それでもどこか“人間臭い”人生が。
そんな夜の出来事だった。