仙台の玄関口「仙台駅」とその周辺
- 1.1 仙台駅の歴史と現在の姿
- 1.2 芸術の風「青葉の風」オブジェ
- 1.3 仙台の夜を灯す「ガス灯」と政宗公の象徴
- 1.4 東一番町と東二番町 ― 商業と歴史の交差点
- 2.1 芭蕉の辻 ― 城下町の交差点
- 2.2 晩翠草堂 ― 詩人・土井晩翠の終の住処
- 2.3 林子平と龍雲院 ― 海国日本を説いた先覚者
- 3.1 仙台城跡と政宗公騎馬像 ― 伊達政宗の築いた城
- 3.2 瑞鳳殿 ― 政宗公の御廟(ごびょう)
- 3.3 感仙殿・善応殿 ― 忠宗公・綱宗公の御霊屋
- 3.4 東照宮と仙岳院 ― 伊達家と徳川家の結びつき
- 4.1 東北大学 ― 学都仙台の象徴
- 4.2 乃木将軍遺愛の松 ― 武人の心を今に伝える
- 4.3 本多光太郎先生胸像 ― 鉄の神様
- 4.4 魯迅の碑 ― 文豪の原点、仙台にあり
- 5.1 定禅寺通 ― 杜の都を象徴する欅並木
- 5.2 光のページェント ― 仙台の冬を照らす光の祭典
- 5.3 大崎八幡宮 ― 歴史ある神社と伝統行事
- 5.4 東北三大祭と仙台七夕まつり
- 6.1 日本フィギュアスケート発祥の地・五色沼
- 6.2 昭忠塔 ― 戦没者を偲ぶ慰霊の塔
- 7.1 塩釜神社 ― 奥州一之宮と製塩の神
- 7.2 御釜神社 ― 製塩の神事を今に伝える
- 7.3 多賀城跡 ― 東北の古代政庁・鎮守府
- 7.4 多賀城碑(壺の碑) ― 日本三古碑のひとつ
- 7.5 和歌に詠まれた歌枕「末の松山」と「沖の石」
- 8.1 松島湾と260余りの島々
- 8.2 松島四大観 ― 絶景ビュースポット
- 8.3 瑞巌寺 ― 伊達家ゆかりの禅寺
- 8.4 雄島 ― 奥州の高野山
- 8.5 観瀾亭 ― 月を愛でた御殿
- 8.6 五大堂 ― 松島のシンボル
- 🧭お問い合わせ・観光情報
1.1 仙台駅の歴史と現在の姿
仙台駅は、明治20年(1887年)12月15日に開業しました。これは、旧・日本鉄道会社が東北本線を上野~塩釜間に延伸した際に誕生した駅で、開業当初の駅舎は木造の平屋建てという質素なものでした。
現在の駅舎は6代目で、昭和52年(1977年)12月に竣工されたものです。現代的な構造と豊富な商業施設を兼ね備え、観光やビジネスの拠点として多くの人々を迎えています。
1.2 芸術の風「青葉の風」オブジェ
仙台駅西口のロータリーに立つ大型のモニュメント「青葉の風」は、**昭和56年(1981年)**に彫刻家・昆野恒氏によって制作されました。
この作品は、「光と水と風を得て、杜の木々と共に力強く伸びゆく生命」をテーマに作られており、仙台の自然と都市の融合を象徴しています。駅に降り立った瞬間、訪れる人々に強い印象を与えるランドマークです。
1.3 仙台の夜を灯す「ガス灯」と政宗公の象徴
仙台駅前、特に東五番町周辺には、昭和62年(1987年)7月10日に設置された87基のガス灯が立ち並び、現在は117基まで増設されています。
これらのガス灯は夜になると一斉に灯り、クラシカルな雰囲気を醸し出します。一部のポールには、伊達政宗公の騎馬像のミニチュアが装飾されており、歴史と近代美が調和しています。
1.4 東一番町と東二番町 ― 商業と歴史の交差点
◆ 東一番町(アーケード街)
仙台最大のショッピングストリートで、全長約1.7kmの東北有数のアーケード街です。地元の人々だけでなく観光客にも人気で、年間を通じてにぎわいを見せます。
毎年8月6~8日に開催される「仙台七夕まつり」では、約1,500本の豪華な竹飾りで通りが彩られ、東北三大祭にも数えられる大規模イベントとなります。
📝 仙台七夕まつりは、東北三大祭のひとつ。ほかは「青森ねぶた祭」と「秋田竿燈まつり」です。
◆ 東二番町(旧国道4号線)
旧・奥州街道にあたるこの通りは、藩政時代には「百騎丁」と呼ばれ、仙台藩の武士たちが馬で整列する光景が見られました。
この通りを南へ行けば東京・日本橋、北へ進めば青森市に至ります。参勤交代の際には、仙台~江戸間を7泊8日で往来したという歴史があります。
仙台の歴史を彩る名所旧跡
2.1 芭蕉の辻 ― 城下町の交差点
「芭蕉の辻」は、かつての仙台城下町の中心地です。南北に延びる奥州街道と、仙台城の大手門から東へと伸びる大町通が交差するこの場所には、藩政時代から多くの人や物が行き交いました。
この四つ角には幡龍・兎・獅子の飾り瓦を冠した豪商の屋敷が並び、華やかな賑わいを見せていたと言われます。また、ここには「高札所」が設けられ、「キリシタン禁制」や「人身売買の禁止」などの布令が掲示されていたため、別名「札の辻」とも呼ばれていました。
📝 高札(こうさつ):江戸時代に幕府や藩が法令を示すために掲げた板札。重要な社会ルールを知らせるものでした。
2.2 晩翠草堂 ― 詩人・土井晩翠の終の住処
「荒城の月」の作詞者として知られる詩人・土井晩翠(本名:土井林吉)が、晩年を過ごした場所がこの晩翠草堂です。
晩翠は、明治40年(1907年)から仙台で暮らしましたが、その旧宅は昭和20年(1945年)7月の空襲で焼失。晩翠の教え子や有志の尽力により、**昭和24年(1949年)**に現在の草堂が再建されました。
門前には、彼の処女詩集『天地有情』を記念した石碑が建てられており、詩の精神とその業績を偲ぶことができます。
2.3 林子平と龍雲院 ― 海国日本を説いた先覚者
**林子平(はやししへい)**は、江戸中期の思想家・地理学者で、「海国兵談」や「三国通覧図説」を著し、海防の重要性を説いた人物です。
その革新的な思想は当時の幕府にとっては“異端”とされ、作品は発禁処分。子平自身も仙台藩の士族でありながら自宅に幽閉され、後に龍雲院で静かに生涯を終えました。
龍雲院には、彼の墓碑があり、死後48年を経て建立されたものです。また、ここには塩釜神社に献上された日時計の模造品や、「リンゴの唄」の作曲者・万城目正の墓などもあります。
伊達家ゆかりの地を巡る
3.1 仙台城跡と政宗公騎馬像 ― 伊達政宗の築いた城
仙台を訪れるなら外せないのが、**青葉山の仙台城跡(別名:青葉城)**です。初代仙台藩主・伊達政宗公が、1600年(慶長5年)に築城を開始し、1610年に本丸の大広間が完成しました。
この城は、自然の地形を活かした山城で、石垣や堀が少ないのが特徴。これは「徳川家康への不戦の意思表示」ともいわれています。
現在は天守こそ残っていないものの、城跡からは仙台市街を一望でき、展望台には勇ましい姿の伊達政宗公騎馬像が立っています。
📝 現在の騎馬像は3代目で、昭和39年に復元されたブロンズ像。高さは台座を含め9.24m、重さ4.5t。
3.2 瑞鳳殿 ― 政宗公の御廟(ごびょう)
伊達政宗公が眠る場所、それが青葉山の中腹に位置する**瑞鳳殿(ずいほうでん)**です。
政宗公は、死後「この地に葬ってほしい」と家臣に遺言し、**1636年(寛永13年)**に江戸で没したのち、翌年この地に葬られました。瑞鳳殿は桃山様式の華麗な霊廟として完成し、かつては国宝にも指定されていました。
しかし昭和20年の戦災で焼失。その後、発掘調査を経て、昭和54年に再建されました。現在の本殿には政宗公の木像が安置されており、その地下には実際の遺骨が眠っています。
📝 発掘調査の結果、政宗公は身長159.4cm、血液型はB型だったことが判明。
3.3 感仙殿・善応殿 ― 忠宗公・綱宗公の御霊屋
瑞鳳殿の近くには、2代藩主・伊達忠宗公の霊廟「感仙殿」と、3代藩主・伊達綱宗公の「善応殿」があります。
感仙殿もかつては国宝に指定されていましたが、瑞鳳殿と同様に戦災で焼失。昭和60年に再建されました。忠宗公は政宗公の遺志を継ぎ、藩政の安定と発展を成し遂げた名君として知られています。
善応殿は、文化人として知られた綱宗公の霊廟で、やはり戦災により失われた後、昭和60年に復元されました。江戸幕府が殉死を禁止した後だったため、綱宗公の殉死者はおらず、供養塔も存在しません。
3.4 東照宮と仙岳院 ― 伊達家と徳川家の結びつき
仙台市青葉区の住宅街にある仙台東照宮は、2代忠宗公が徳川家康公を祀るために建立した神社です。
本殿、唐門、透塀などが国の重要文化財に指定されており、建築は**承応3年(1654年)**に完成。豪華な装飾と建築技法は、江戸時代初期の神社建築の粋を示しています。
隣接する仙岳院は、東照宮の別当寺(神社を管理する寺)として建てられ、仏教と神道が共存する独特の空間となっています。
仙台の学術・文化の礎
4.1 東北大学 ― 学都仙台の象徴
東北大学は、明治40年(1907年)に「東北帝国大学」として創設され、東京・京都に続く日本で3番目の帝国大学として誕生しました。
設立当初は理科大学(仙台)と農科大学(札幌)から成り、後に北海道帝国大学が分離・独立した後、東北大学は医・工・法・文など多彩な学部を拡充。現在も日本を代表する総合研究大学として国内外に名を轟かせています。
仙台はこの東北大学を中心に、「学都(がくと)仙台」として文化と知性の街づくりが進められてきました。
4.2 乃木将軍遺愛の松 ― 武人の心を今に伝える
東北大学金属材料研究所の玄関前には、樹齢約200年の黒松があります。この松は、かつて旧日本軍第二師団の師団長として仙台に赴任していた乃木希典将軍が手植えしたと伝えられています。
この黒松は「乃木将軍遺愛の松」と呼ばれ、将軍の質素で忠義に厚い人柄を偲ばせる記念樹です。
松の根元には物理学者・本多光太郎先生による碑文があり、学術と武士道が交差する場所でもあります。
4.3 本多光太郎先生胸像 ― 鉄の神様
「鉄の神様」と呼ばれた世界的な物理学者**本多光太郎(ほんだ こうたろう)**先生は、東北大学金属材料研究所の教授であり、のちに総長も務めた人物です。
彼の代表的な業績は、KS磁石鋼(永久磁石合金)の発明。昭和13年には文化勲章も受章しています。
研究所前にある本多先生の胸像は、東北大学と仙台が生んだ偉人を讃える象徴であり、多くの学生や研究者がその功績を誇りにしています。
4.4 魯迅の碑 ― 文豪の原点、仙台にあり
中国の近代文学の父、**魯迅(ろじん)**は、1904年から1906年までの2年間、仙台医科専門学校(東北大学医学部の前身)に在籍していました。
魯迅はこの地で西洋医学を学んでいましたが、ある出来事をきっかけに「民族の魂を救うには、まず文学が必要だ」と悟り、文筆の道へと進みます。
その原点が仙台にあることを記念し、東北大学構内には魯迅の碑が建てられています。1998年には当時の中国国家主席・江沢民氏夫妻がこの碑を訪れ、献花と記念樹(梅と松)を植樹しました。
四季が彩る街並みと祭
5.1 定禅寺通 ― 杜の都を象徴する欅並木
「杜の都・仙台」という愛称の象徴ともいえるのが、定禅寺通(じょうぜんじどおり)です。長さ675m・幅46mの並木道には、昭和20年の戦後復興で植えられたケヤキ並木166本が立ち並びます。
通りの名前は、伊達政宗公が城の鬼門封じのために建立した真言宗の寺「定禅寺」がかつてこの地にあったことに由来しています。
四季折々の風景が美しく、特に春の新緑、秋の紅葉、そして冬のイルミネーションは必見です。
5.2 光のページェント ― 仙台の冬を照らす光の祭典
毎年12月に定禅寺通と青葉通で開催される「SENDAI光のページェント」は、杜の都の冬の風物詩です。落葉した欅の小枝に、約60万~90万個のLED電球が取り付けられ、幻想的な光のトンネルが街を包み込みます。
クリスマスシーズンにはサンタクロースのパレードなども行われ、多くの家族連れやカップルでにぎわいます。
🌟 象徴的な点灯式では、一斉に灯がともされる「スターライト・ウインク」が感動的です。
5.3 大崎八幡宮 ― 歴史ある神社と伝統行事
仙台市の北西に位置する「大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)」は、伊達政宗公によって1607年に建立された国宝の神社です。安土桃山様式の建築で、漆黒に輝く柱や精緻な装飾が目を引きます。
◆ どんと祭(松焚祭)
毎年1月14日の夜、大崎八幡宮では「どんと祭」が行われます。この祭りは、正月飾りやお守りなどを焚き上げ、無病息災を祈願するものです。
特に有名なのが「裸参り」と呼ばれる儀式で、男性たちが白鉢巻にさらし姿で寒さに耐えながら練り歩く姿は、見る者の心を打ちます。
📝 どんと祭は全国でも最大規模で、30万人以上が訪れることもあります。
5.4 東北三大祭と仙台七夕まつり
仙台が誇る伝統行事の中でも最も華やかなのが、毎年8月6日~8日に開催される「仙台七夕まつり」です。
この祭りは「東北三大祭」のひとつに数えられ、アーケード街を中心に約1,500本もの竹飾りが飾られます。鮮やかな色彩と精巧な細工は見る人々を魅了し、国内外から多くの観光客が訪れます。
🏮【東北三大祭】
- 青森ねぶた祭
- 秋田竿燈まつり
- 仙台七夕まつり
日本フィギュアスケートの源流と市の象徴
6.1 日本フィギュアスケート発祥の地・五色沼
「五色沼(ごしきぬま)」は、仙台市内にある静かな池で、実はここが日本のフィギュアスケート発祥の地とされています。
明治22年(1889年)ごろから、仙台を訪れた外国人たちがこの沼でスケートを始め、明治30年(1897年)頃にはイギリス人のデフィソン氏が地元の子供たちにフィギュアスケートを指導しました。
また、明治42年(1909年)には仙台の第二高等学校(二高)の学生たちが、ドイツ語教師のウィルヘル氏からフィギュアスケートの技術を学び、後輩へと伝承。このような経緯から、日本におけるフィギュアスケートの出発点となったのです。
🧊 昭和6年(1931年)には、第2回全日本選手権大会もこの地で開催されました。
6.2 昭忠塔 ― 戦没者を偲ぶ慰霊の塔
仙台城跡の一角に立つ「昭忠塔(しょうちゅうとう)」は、**明治35年(1902年)**に日清戦争で戦死した仙台出身者(第二師団)の慰霊のために建立されました。
高さは約20.45m、その頂上には北方をにらむ青銅製の金鴨の像が置かれています。この金鴨は、神武天皇が東征の際に戦勝を導いたという伝説に基づいており、「金鴨=勝利の象徴」として知られています。
設計者は沼田下一雅氏で、金属部分は東京美術学校で鋳造されました。また、「昭忠」という揮毫(きごう)は、明治天皇の弟君である小松宮彰仁親王によるものです。
📝 塔の威容とその由緒は、戦争の記憶と平和の祈りを現代に伝えています。
塩釜と多賀城の古のロマン
7.1 塩釜神社 ― 奥州一之宮と製塩の神
塩釜神社は、古代より東北の信仰の中心として知られ、「奥州一之宮」とも称される格式高い神社です。
主祭神は、
- 左宮:武甕槌神(たけみかづちのかみ)
- 右宮:経津主神(ふつぬしのかみ)
- 別宮:塩土老翁神(しおつちのおじ)
これらの神々は、国土開発、産業、海上安全の守護神として篤く信仰されています。塩釜の地名は、別宮で祀られている塩土老翁神が製塩に用いた「鉄製の釜=塩釜」に由来します。
◆ 表参道と女坂
- **表参道(男坂)**は、202段の石段で、かつて源頼朝や足利尊氏も通ったとされる由緒ある道。
- **裏参道(女坂)**は199段のなだらかな石段で、明治時代に整備されました。
どちらの道も、荘厳な神域へと続く参道として訪れる人を迎えます。
◆ 塩釜桜と御神木
塩釜神社の境内には、淡紅色で50枚近い花びらをもつ八重桜「塩釜桜」が咲き誇ります。見頃は5月初旬で、現在は約40本が保存され、天然記念物に指定されています。
また、随身門の左側には樹齢約700年・高さ31mの御神木の杉が鎮座し、神域の静けさを感じさせます。
7.2 御釜神社 ― 製塩の神事を今に伝える
塩釜神社の境外末社である御釜神社では、古来より伝わる**藻塩焼神事(もしおやきしんじ)**が行われています。
この神社では、塩土老翁神が使用したとされる四口の鉄製平釜を奉納・祀っており、「塩釜」という地名の由来にもなっています。
📝 釜の水が一年を通じて決して枯れないとされ、占いや天候の予兆にも用いられてきました。
7.3 多賀城跡 ― 東北の古代政庁・鎮守府
多賀城(たがじょう)は、奈良時代の神亀元年(724年)に創建された陸奥国府と鎮守府(東北の軍政本部)を兼ねた要塞都市です。
城は一辺約900mの方形に築地塀(ついじべい)で囲まれ、南・東・西の三方に門がありました。内部には政庁や役所、兵舎、倉庫などが配置され、古代東北支配の中枢を担っていました。
7.4 多賀城碑(壺の碑) ― 日本三古碑のひとつ
**多賀城碑(たがじょうひ)**は、日本三古碑のひとつに数えられ、平安以前の貴重な石碑資料です。高さ約1.6m、141文字が刻まれており、多賀城の改築年や距離標が記されています。
この碑は江戸時代中期に発見され、松尾芭蕉も『おくのほそ道』の旅の途中でこれを訪れ、碑文を書き写しています。
📝 【日本三古碑】
① 多賀城碑(宮城県)
② 那須国造碑(栃木県)
③ 多胡碑(群馬県)
7.5 和歌に詠まれた歌枕「末の松山」と「沖の石」
この地域には、多くの和歌に詠まれた歌枕(地名に特別な意味を込めた和歌のモチーフ)があります。
◆ 末の松山
「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは」
— 清原元輔(百人一首・42番)
「波が越えることがない=絶対に変わらない」という意味で使われ、変わらぬ誓いを表す比喩となっています。
◆ 沖の石
「我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間ぞなき」
— 二条院讃岐(百人一首・92番)
常に濡れている沖の石に自身の涙を重ねた一首。訪れると、詩の世界にタイムスリップしたような気分になります。
松島 ~ 日本三景の絶景を訪ねて
8.1 松島湾と260余りの島々
「松島(まつしま)」は、広島の宮島、京都の天橋立と並ぶ「日本三景」のひとつです。湾内には、長年の地殻変動と風雨の浸食によって形成された大小260余りの島々が点在し、見る角度によって表情を変える幻想的な風景が広がります。
📜 正徳4年(1714年)、儒学者・林鵞峯によって「日本三景」と称されるようになりました。
湾は東西南北それぞれ約17kmにおよび、松島町・塩釜市・七ヶ浜町などにまたがっています。
8.2 松島四大観 ― 絶景ビュースポット
松島湾の美しさを存分に楽しむには、高所からの眺望がおすすめです。江戸時代の儒学者・舟山万年によって選定された「松島四大観」が代表的な展望地です。
【四大観一覧】
名称 | 特徴 | ロケーション |
---|---|---|
富山 | 全方向の大パノラマ | 大仰寺の裏山(松島町) |
大高森 | 男性的な嵯峨渓と女性的な湾の対比 | 宮戸島(東松島市) |
多聞山 | 七ヶ浜の岬からの展望 | 七ヶ浜町 |
扇谷 | 湾が扇状に広がる独特な景色 | 利府町との境界付近 |
8.3 瑞巌寺 ― 伊達家ゆかりの禅寺
「瑞巌寺(ずいがんじ)」は、828年に慈覚大師・円仁が開山した古刹で、伊達政宗公が再興したことで有名です。慶長9年(1604年)から5年をかけて造営された桃山文化の粋を極めた建築群が魅力です。
◆ 建築の見どころ
- 本堂(国宝)… 狩野派による金碧障壁画で彩られた10室
- 庫裡(国宝)… 入母屋造の煙出しが特徴の大台所
- 山門… 骨太な構造で禅宗らしい佇まい
- 洞窟群… 納骨堂としての岩屋や五輪塔、延命地蔵などが点在
また、瑞巌寺は伊達家の菩提寺であり、政宗公の信仰心と美意識が色濃く反映された寺院として知られています。
8.4 雄島 ― 奥州の高野山
湾内に浮かぶ小島「雄島(おしま)」は、朱塗りの「渡月橋(とげつきょう)」で陸とつながっており、古くは「千松島(せんしょうとう)」と呼ばれました。
島内には、
- 見仏上人の伝説
- 戒名を刻んだ石塔
- 芭蕉と曽良の句碑
など、宗教的・文学的な史跡が数多く存在します。
また、かつて女人禁制だったという歴史もあり、小野小町が島に入れず歌を詠んだという伝承も残っています。
8.5 観瀾亭 ― 月を愛でた御殿
「観瀾亭(かんらんてい)」は、豊臣秀吉が京都・伏見桃山城に建てた茶室を伊達政宗が拝領し、さらに2代忠宗が一木一石も変えずに松島へ移築したものです。
海に面したこの御殿は、藩主や来賓の月見・涼み・接待に用いられ、「月見御殿」とも呼ばれました。内部には、狩野派の襖絵や貴重な大名道具が展示されています。
🏯 建物は素木造・寄棟造の平屋建で、御仮屋(おかりや)としても機能しました。
8.6 五大堂 ― 松島のシンボル
「五大堂(ごだいどう)」は、807年に坂上田村麻呂が建立した毘沙門堂を起源とし、瑞巌寺の前身である延福寺に伝わる五大明王像を祀る堂宇です。
現在の建物は、伊達政宗公が1604年に再建したもので、松島の象徴的な風景として観光パンフレットにもよく登場します。
特徴的なのは、十二支が彫刻された「蛙股(かえるまた)」や、33年に1度しか開帳されない五大明王像です。
仙台・松島で、時空を超える旅を
仙台と松島は、ただの観光地ではありません。伊達政宗公を中心とした歴史の重み、東北大学や文化人に代表される知の伝統、そして四季の彩りや祭りの人々の営みが、訪れる人すべてを包み込むように迎えてくれます。
歴史、自然、芸術、そして温かな人々が織りなす「杜の都・仙台」と「海の絶景・松島」へ、ぜひ一度足を運んでみてください。きっとあなたの旅が「記憶に残るもの」になることでしょう。
🧭お問い合わせ・観光情報
仙台観光情報センター(仙台駅構内)
📞 022-222-4069
🌐 https://www.sentabi.jp