クロユリ咲く月山登山記

山歩きと写真

クロユリを求めて月山へ

7月。梅雨の名残がまだ空に色濃く残る季節。そんななか、私の頭の中は「クロユリ一色」だった。
なぜかって?この時期の月山では、運がよければ、あの黒くて妖艶な花・クロユリの群生が見られるからだ。

「咲いているはずだ」「きっと満開だ」「いや、もう遅いかも」
そんな思考がぐるぐる回りながら、毎晩のように天気予報とにらめっこ。まるで恋人の予定を探る高校生のように、スマホをスクロールする日々。しかも、相手は山の天気だ。コロコロ変わる。まったくもって気まぐれな存在である。

そんな中、同行の赤間さんと相談し、ついに日程を「7月17日」に決定。
「雨さえ降らなければ御の字」「クロユリが見られたらラッキー」「ついでに山頂まで行けたらもう最高」という、“保険かけすぎ三段構え”のプランである。

それでも、心の奥にはどこかワクワク感があった。
クロユリに会いたい。あの神秘的な姿をレンズに収めたい。そして、できれば一枚くらいはInstagramに載せて、「イイネ」をもらいたい。(いや、それは下山後の話だ)

そんなこんなで、我々は意気揚々と月山へと車を走らせた。
ところが──

待っていたのは、「お天気の裏切り」という、山登りあるあるのフルコースだったのである。

曇天スタート!リフトとニッコウキスゲの罠

月山の登山口に着いたとたん、我々の期待は、まるで濡れた雑巾のようにズッシリと重くなった。
空はどんより、雨はしとしと、霧はモヤモヤ。視界はおよそ50メートル。景色なんて、なにひとつ見えやしない。

「なんだよこれ…」
と、嘆きたい気持ちをぐっとこらえ、赤間さんがひとこと。

「雨の中歩くのも、山の楽しさのひとつだよね」

なんというポジティブシンキング。私も負けじと「そうっすね!」と調子を合わせ、二人でリフト乗り場へと向かった。

さて、リフトに乗り込むと、下界に広がるのは見事なニッコウキスゲの花畑!
黄色い花が、草原いっぱいに広がっている。これぞ、初夏の月山の風物詩。カメラを構える手がウズウズしたが……

「いや、きっと上のほうがもっと咲いてるはずだよね」
「だね、ここは通過で」

──この判断が、まさか後であんな後悔を生むとは。

リフトが上駅に到着し、いざ歩き始めると…あれ?
ニッコウキスゲの姿が…ない。どこにも、ない。さっきまでの黄金の絨毯は幻だったのか?
標高が上がればもっと咲いているだろう、という素人考えは見事に裏切られたのである。

「撮っておけばよかったな…」
「完全にミスったな…」

お互いにうつむきながら、しょんぼりと歩を進めた。
この時点で、クロユリの姿など影も形もない。私の心にも、厚い雲がかかっていた。

しかし——山は不思議なもので、この直後、予想外の出会いが訪れ、我々の気分を劇的に変えてくれることになる。

赤間さん、またモテるの巻

ニッコウキスゲにふられて、意気消沈しながら雪渓を登っていたそのとき、後方から明るい女性の声が響いた。

「すみませーん、チェーンスパイクって、もう外したほうがいいですか?」

声の主は若い女性二人組。しかも、質問されたのは私ではなく、赤間さんだった。

……はい、出ました。
山に来ると、なぜか毎回女性から話しかけられるという、彼の“謎スキル”が今回も炸裂である。

一緒に何十回と山に登ってきたが、私に声をかけてくる女性などゼロ。まさにゼロ。もはや山の法則としか思えない。月山七不思議のひとつに認定したい。

赤間さんはというと、「あぁ、もう大丈夫ですよ」とにこやかに返答。
そのまま自然な流れで、「ここらでちょっと休憩しませんか?」とお誘いをかける。しかも、持っていたサーモス入り“例のスペシャルコーヒー”を取り出して、さらりとふるまってしまうあたり、手慣れている。

このコーヒー、ただのインスタントじゃない。出発の朝というより真夜中に起きるとすぐに牛乳を沸かし、砂糖とコーヒーをたっぷり入れて作るこだわりの一杯。
そりゃあ、女性陣も「うわぁ〜おいしい!」と笑顔満開になるわけだ。

気づけば我々二人組は、あっという間に四人パーティーへと変貌。
こういうときの山の空気って、ほんと不思議なほど自然に混ざり合う。

東京から来たという武田さんと遠藤さん。軽快なおしゃべりと明るさで、悪天候の沈んだ空気もどこか和らいでいく。

赤間さんは相変わらず、リーダー的に場を回す。私はというと、心の中で「赤間さん、なんでそんなモテるんですか?」とツッコミながら、黙々とコーヒーをすする役に徹していた。

でも、こういう“偶然の出会い”こそ、山歩きの醍醐味のひとつ。
予定調和じゃない旅の楽しさが、じわじわと湧きあがってきた。

「今日は、もしかしたら悪くない一日になるかもな」

そんな予感が、ガスの中からふっと顔を出しかけた。

雪渓と幻のクロユリ

新たに加わった武田さん・遠藤さんの2人を交えた4人パーティーは、霧に包まれた雪渓を登っていく。
空は相変わらず真っ白で、どこまで行っても先が見えない。それでも、笑い声とコーヒーの余韻のおかげで、足取りは少しだけ軽かった。

登山道の脇では、スキーヤーたちが滑走中。
……とはいえ、視界は10メートル。音だけがシャーッと近づいてきて、突然目の前に現れる。

「おわっ!」「いきなり来るなあ!」
そんな声をあげながら、スキーヤーとすれ違う。

雪面は「スプーンカット」と呼ばれる形状——凹凸がスプーンでえぐったようになっていて、アイスバーンではないが、意外としっかり足がかかる。滑りそうで滑らない、絶妙なコンディション。
ちょっとした山岳トリックアートの中を歩いている気分だった。

と、そんな幻想的な雪渓を抜けた先、ようやく見えてきたのが──

クロユリ。

……ただし、一輪だけ。

その一輪は、風雨にさらされ、しょんぼりとうつむいたまま。
「頑張ってるんだな」と思わず声をかけたくなるような姿だった。

期待していた群生のクロユリの姿はどこにもなく、まさかのピンチョロ一本勝負。
「え…これが…あのクロユリ…?」「レアすぎる…!」と、皆で苦笑い。

とはいえ、確かに咲いていた。雨に濡れたその花は、どこか神秘的で、妖艶だった。
派手な美しさはないけれど、厳しい天候の中でも、ひっそりと咲くその姿に、じわりと胸を打たれた。

そしてもうひとつの発見があった。
ウスユキソウ(薄雪草)。別名エーデルワイス。
真っ白で星のような形の花が、斜面に寄り添うように咲いていた。

こちらは写真にもバッチリおさめ、「こっちはモデル慣れしてるな〜」と一同笑顔に。
風に揺れる花たちは、まるで「まぁまぁ、そんな日もあるさ」と慰めてくれているかのようだった。

こうして、幻のクロユリとエーデルワイスに迎えられた我々は、ついに月山の頂へと歩みを進める。

月山神社の摩訶不思議

雪渓を登りきると、そこは月山の山頂。標高1,984メートルの世界は、相変わらず霧と風と小雨のミックスフレーバーだった。

そんな中にぽつんと建っているのが、月山神社
この神社、実はただの山頂の飾りではない。今年はなんと御縁年(ごえんねん)
つまり、「今年お参りすれば、12年分のご利益をゲットできる」っていう、まるでポイント12倍セールのようなビッグチャンスの年なのだ。

女性2人は、これは見逃せない!とすぐに拝観料を支払い、中へ。
神主さんがちょうど祝詞(のりと)をあげていて、荘厳な空気が漂っていた。

一方、私はというと…無宗教派。
「まぁ、外で待ってますよ」と、風に吹かれながら待機モード。
ところが、気づけば赤間さんの姿が消えている。

「え?どこ行ったの?」「さっきまで隣にいたのに…」

辺りをキョロキョロすること数分──
なんと、神社の中から赤間さんが、のっそりと出てきた。

「拝んでもらってた」
「……は?」

本人いわく、「よくわかんないまま中に入っちゃって、気づいたら神主さんの目の前にいて、流れでご祈祷受けてた」とのこと。しかもけっこう真剣な顔で合掌していたらしい。

なんという天然力。
これには武田さんも遠藤さんも爆笑。いやもう、さすが赤間さん、今回も期待を裏切らない。

仙台弁で言うところの**「ぺろんこ」**(=のんき者、おっとりした人)というやつである。
本人はまるで「うっかりバスを乗り過ごした」くらいの顔をしていたけれど、きっちり12年分のご利益をゲットしてきたのは間違いない。

神様のご加護も受けた(?)ところで、山頂の岩陰に腰を下ろし、4人で昼食タイム。
天気は悪くても、ホットサンドとおにぎりがあれば世界は平和。
くだらない話で笑い合いながら、「これぞ山の醍醐味」と心から思えるひとときだった。

しかしこのあと、まさかあんなスリリングな下山が待っていようとは、誰も想像していなかった——。

木道スリップ祭り

昼食を終え、山頂での出会いと笑いに後ろ髪を引かれつつ、我々は下山を開始。
途中、リフト乗り場方面へと続く分岐点で、武田さんと遠藤さんとお別れ。
「気をつけてくださいね〜!」と手を振る彼女たちに見送られながら、我々は下山ルートへと進んだ。

……が、ここからが地獄のはじまりだった。

しばらくは快調に歩いていたが、問題は木道に差しかかってから。
雨でぬれてツルッツル。まるで天然のスケートリンク。いや、むしろ油を塗ったアイスバーン。
まさに「滑る気しかしない」板の道。

最初の被害者は、私。

見事にスッテン!と転倒し、尾骶骨を強打
一瞬、視界がホワイトアウト。痛みで時間が止まった気がした。
「これ、折れたんじゃ…」と冷や汗がにじむが、とりあえず立てる。歩ける。
……しかし痛い。とにかく、痛い。

続いて赤間さんも、ツルッ→ズドン!
こちらも見事な一本背負いのような転びっぷり。しかし奇跡的に、手術したばかりの肩とは逆側に倒れたため、大事には至らなかった。腕を少し擦りむいただけ。
「これで肩だったら終わってた」と、震えながら苦笑いしていた。

しかも、周囲のグループも全員転倒。
大の大人たちが次々にすべって倒れる様は、もはやコントか物理の実験か。
木道という言葉からは想像もできないほどの、恐怖のデスゾーンだった。

三度目の転倒で、「これはいかん」とようやく悟り、そこからは命がけのカニ歩きに切り替え。
ストックでバランスを取りながら、まるで忍者のように慎重に慎重に進んでいく。
誰かが「これ、登山じゃなくてサバイバルじゃね?」とつぶやいたが、まさにその通りだった。

尾骶骨はズキズキするし、全身が力んで疲れるし、スリルは満点。
それでも、なんとか……無事に駐車場に到着!

車のシートに腰を下ろしたときの、あの安堵感。
あぁ、生きてるって素晴らしい。お尻が痛くても、それでも無事に帰ってこれたことに感謝しかない。

このあと病院でレントゲンを撮ってもらった結果、骨には異常なし。
「よく打ちましたね〜」という先生の言葉に、思わず「ですよね〜」と笑うしかなかった。


山は出会いとドラマの宝庫

今回の月山登山をひと言で表すならば、まさに「予定不調和の旅」だった。

天気は外れるし、クロユリは一本ぽっちだし、滑って尻は強打するし…。
けれど、不思議なことに、振り返ってみると楽しかった記憶しか残っていないのだから、人間って不思議な生き物だ。

忘れられないのは、武田さんと遠藤さんとの偶然の出会い。
たった一言の声かけから、一緒に笑い、一緒に歩き、山頂でコーヒーを飲むまでの関係になる。山って、そういう「一期一会」の場なんだと改めて実感した。

そして、うっかり神主さんに拝まれていた赤間さん。
いつものことながら、彼の天然エピソードが今回の山行にもしっかりスパイスを添えてくれた。
12年分のご利益を一人で持ち帰ったあたり、さすがである。

木道スリップ劇場は、もう二度と味わいたくないが……
それでも、痛みと引き換えに得た教訓は多い。**「木道をなめるな」**という言葉を、私はこれから後輩たちにしっかり伝えていこうと思う。

今回クロユリの群生には出会えなかったけれど、ひっそりとうつむく一輪のクロユリと、風に揺れるウスユキソウは、確かにあの山に咲いていた。
あの厳しい天気の中でも、凛として咲いていた。

山は、決して思い通りにはならない。
でもそのぶん、思いがけない出会いや出来事を運んでくれる。

次こそは晴天の月山を歩き、満開のクロユリを眺めたい。
いや、もしかしたらまた雨かもしれないし、また誰かに出会うかもしれない。

それでいいのだ。
それが、山登りの魅力というものなのだから。


🌿 お読みいただき、ありがとうございました!
皆さんも、くれぐれも木道ではお気をつけて。
クロユリとスリップ事故は、いつだってすぐそこに待っています。


プロフィール
書いた人
はたもん

こんにちは。仙台で個人タクシーを営んでいます。
「少しの間だけ」のつもりでしたが、気づけばこの道一筋のタクシー歴33年です。平凡な私でも33年の間にはいろんなことが起きました。
このブログでは、そんなタクシードライバー目線の仙台をお届けします。
仕事の体験談や趣味の山歩き・スキー・写真撮影についてもゆるっと綴ってまいります。どうぞよろしくお願いします。

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