丸森尾根から朳差岳へ、6人が紡いだ厳しくも心温まる三日間の山旅
飯豊連峰の裾野に立つと、三県をまたぐ大きな山塊の威容に心が躍る。平安後期に知同和尚と役行者が開いたという古の信仰の息吹が、今も岩肌や残雪に息づいているのだろう。東北のアルプスと称される連峰は、日本百名山や二百名山の峰々を抱え、その頂きへはどこからでも1,500m以上もの標高差を越えねばならない。健脚を試される大日岳(2,128m)をはじめ、夏の残雪と高山植物が、登り手を魅了してやまない。
今回は、その一角を目指して、ガイドの赤間弘記氏、みやぎトレッキングクラブ会長・大友さん、同クラブ会員の村井さん、千葉から駆けつけた小木曾さん、内山さん、そして私、計6名で飯豊山荘駐車場を起点に歩を進めた。7月31日、車道が開通したばかりの静かな午前8時40分。ザックを秤にかけ、装備の重さを分担して、丸森尾根へ向けて9時20分に出発する。温度計は34°を指していた。



頭上の太陽は容赦なく照りつけ、いきなりの急登に14キロのザックが重くのしかかる。それでも赤間氏にトップを任され、私のゆっくりペースと20分ごとの休憩で、全員の足並みを崩さずに高度を稼いだ。夫婦清水では雪渓の冷水を胸まで浴び、汗を洗い流すように喉を潤す。岩稜を越え、ノゾキの急斜面を三点確保で慎重に登り、16時30分に丸森峰へ。地神北峰を望む開けた尾根で、夕陽に染まる山並みを背に20分の行動食休憩をとった。
再び登り始めると、花崗岩の砂礫と深く刻まれた道が思った以上に手強い。18時5分、気温21度、強風が吹き抜ける分岐に到着し、夕暮れの山並みが次々と影を落としていく様を眺めた。頼母木小屋の明かりが見えたころには、疲労の隙を突くように安堵が押し寄せる。管理人さんの笑顔と、雪解け水で冷やされたビールの一口が、登山のご褒美そのものだった。






小屋では10人ほどの先客とテント数張り。2階の狭い空間で、赤間氏が手際よく煮込みうどんを仕立て、鍋を囲んで乾杯。私はキャベツと人参を託し、フリーズドライのリゾットで早々に床に就いた。耳栓越しに聞く風と小屋の軋みが、静かな夜を演出する。
翌朝(8月1日)、晴れ渡る空のもと、草原の尾根を辿りながら、満開の高山植物に歓声を上げる。大石山で私は下山を決め、皆と別れを惜しむ。ここまでの道程と風景が、すべて私の心に刻まれた。
大友さんたちはその後、朳差岳を踏破し、前島玄のレリーフや花畑を楽しみつつ、頼母木小屋に戻ってビアガーデンのようなひとときを満喫したという。海へと沈む夕陽を背に交わされた「無事下山」の一報が、小屋に安堵をもたらした。














最終日の下山は、4時半の出発から始まる。懸命に足を運ぶ大友さんの膝を赤間氏が支え、鎖もロープもない急坂を慎重に下った。やがて飯豊山荘口にたどり着いたとき、全員の顔には達成感と笑顔が輝いていた。猛暑と急登、深夜の風に翻弄されながらも、厳しくも楽しい三日間──飯豊連峰がくれた贈り物を、私はこの足で確かに受け取った。