個人タクシー誕生と背景
(仙台個人タクシー50年史参照)
昭和28~29年の不況は多くの倒産と失業者を生みました。タクシー業界は新規免許がストップとなり、過酷なノルマを課せられた運転者の急発進や急停車等の無謀運転が社会問題となり、世論からは「神風タクシー」と郷楡されました。昭和33年の1月に東京大学の学生を、赤門前でタクシーがはねて死亡させるという事故が起こりました。この出来事を「神風タクシー」と題した特集記事が朝日新聞に連載され、社会問題・政治問題へと発展していくことになり、神風タクシーはタクシーの代名詞になってしまいました。
昭和34年8月10日の衆議院運輸委員会で、楢橋渡運輸大臣が個人タクシーについて「世論が支持していることだから早急に結論を出す」と答弁し、昭和34年9月11日に「永年にわたり無事故・無違反の優良運転者に夢を与え、業界に新風を送るためにタクシー個人営業を許可する」と、待望の大臣声明が発せられました。
昭和34年12月3日、東京において6630人の中から選ばれた173名の喜びはひとしおで、有名大学の試験に勝る難関でありました。
個人タクシー誕生の最大の原動力は良質で安全なタクシーを求める、世論の期待と支持であったと言えます。
仙台個人タクシー誕生
宮城県陸運事務所では昭和36年6月に140名の申請者の中から、7月18日12名が厳選され免許が与えられました。この年「団結第一」を主眼とし、個人タクシー協会を設立しました。
翌37年7月、15名の新規免許者が協会に加入したのを契機に、協会を発展的に考え、昭和38年1月中小企業等協同組合法に基づく「仙台個人タクシー事業協同組合」を設立し組合員の健全経営の指導と、社会的・経済的地位の向上に努めるとともに、組合運営の円滑を図り現在に至っております。
個人タクシー誕生
